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和歌山家庭裁判所 昭和39年(家)603号 審判

申立人 小西うめ(仮名)

相手方 小西一男(仮名)

主文

相手方は申立人に対しその扶養料として昭和三九年六月分から毎月申立人が病臥中の間毎翌月五日迄に金三、〇〇〇円を支払うこと。(すでに支払期限の到来している六、七、八、九及び一〇月分は即時支払うこと。)

調停審判費用は申立人の負担とする。

理由

申立代理人の申立の趣旨は「相手方は申立人に対して扶養料として調停成立のとき以降毎月末日金五、〇〇〇円宛支払うこと」を求めると言うのである。

本件申立の経緯

相手方は申立人とその夫亡小西吉助の長男である。長く本籍地に居住し漁業を営んできたが、その父前記吉助が昭和二九年一月一日死亡後漁業を廃めて○○皮革工業株式会社の臨時工員として昭和三八年七月頃から勤務していたところ、その工場へ通勤の便宜のため昨三八年三月中前示本籍地の住宅を売却し肩書現住所に家屋を買入れ爾後そこに居住している。ところが申立人である母うめはその夫死亡後は相手方一男と同居していたが事実上は全く生活を異にし申立人は醤油等の行商で生計を立て二階に、相手方一家は階下に夫々住んでいたのである。そして相手方転居に際しては相手方は申立人に同行を促したが申立人は前住居に残留を希望したので右家屋買取者に対して申立人が依然その二階に居住することを承諾を求めて爾来別居していたのである。然るに昭和三九年二月二四日申立人は現在肩書住所であるその長女久子の婚家先阪東治男方で脳出血の発作に襲われ爾来右阪東方で臥床療養中であるが、老齢の関係もあつてその健康状態は必ずしも好転しない。意識は時に不明になるも大体明確であるが身体の状況は寧ろ衰弱に因つて悪化しつつある状態で、したがつて自ら金銭的収入を得ることは全く不可能で専らその子等の扶養を待つ以外にはない状態である。申立人は主として発病以来長女久子及びその夫阪東治男の扶養を受けているが、申立人にはその亡夫吉助との間には相手方一男、右久子以外に次男正男(当四四歳)参男市男(当三八歳)があり申立人発病以来右正男、市男から若干の金員の扶助があつたが、相手方である長男一男は唯申立人を自宅に引取る旨を主張して申立人に対しその主食に充当すべき毎月金一、〇〇〇円(別居の際親族の斡旋で定められた。)以外は申立人は勿論兄弟親族の勧告にも拘らず何等の扶養の金品を提供しないので一ヵ月金五、〇〇〇円の扶養料を支払はれたい旨の調停の申立を申立人は昭和三九年六月二九日になした。爾来七回に亘る調停期日で説得折衝が重ねられたが、調停の合意が成立するに至らなかつたので審判手続に移行した次第である。

(申立人の主張-相手方は申立人において扶養料の支払を求めるならば、相手方の宅に引取つて十分看護療養できるから何時でも引取るべき旨申立てているけれども申立人と相手方一家と同居していた当時の状況から推察すれば右は到底不可能である。申立人は現在起居全く不自由であつて肉親の者でなければ看護なし得ないし、又看護を受ける者も非常に忍び難いところであつて現時では申立人は相手方に引取られることは全く希望しないところである。唯現時看護扶養を受けている長女久子は他家に嫁しその家屋の主たる収入は申立人の姻族である阪東治男のそれであつて、而も久子は申立人の看護のため従前可能であつたプラスチック工場への就業ができずそれ丈収入が減少して居りしたがつて申立人は現在事実上姻族から扶養を受けていることに帰する。一方相手方は申立人の長男である上妻、長男、次女も既に就業して若干の収入も夫々あつて経済的余裕が存するので本件申立に及んだのである。

相手方の主張-相手方は申立人の長男ではあるが、沿岸漁業不振のため家業である漁業を已むなく昨年廃め何等技能がないので中年を過ぎて工員としてそれも臨時工員として振出しから始めた。そこで○○皮革工業株式会社に勤務したものの雑役工で報酬は少く、しかも就業日数も少いため収入不安定で已むなく妻道子も○○染工工場に、長男高男当一七歳は○○石鹸工場に長女良子は既に他家に嫁したので更に次女美子当一六歳に至る迄メリヤス工場に夫々就業せしめて辛うじて生計を営んでいる状況で、既に申立人に対して別居以来主食費として毎月一、〇〇〇円を支給しているがこれ以上の援助は全く余裕なくできない。しかし乍ら申立人は相手方の母であり今や起居不能の病人であるから若し相手方宅に引取つたならば如何にしても申立人を看護するつもりであるし、また爾後弟妹に対し申立人の世話に関し金銭的支出を求めることはない。起居不能の申立人でも相手方は子であり妻も嫁であり子は孫であるから何等不自由を与えることはしない。(相手方は調停手続中に一旦は申立人に対して右主食費千円の外千円を追加支給するから申立人も合計二千円で満足して欲しい旨を表示したが其の後之を撤回し追加の千円の支給を拒否した。)

まづ事実調査の結果並びに本件調停の経過を綜合して次の事実が認められる。

申立人の事情-申立人は現在七六歳に達し昭和三九年二月中の脳出血の為爾来下半身が不自由となり起居は勿論排泄等も全く人手を要している有様でしかも老齢の故もあつて漸次悪化の傾向を示している状況である。元来申立人はその亡夫小西吉助との間に長男として相手方一男(当四八歳)次男正男(当四四歳)長女久子(当四二歳)参男市男(当三八歳)を生んだが、その本籍地○○○漁業組合員として漁業を営んでいた右吉助が昭和二九年一月一日死亡する迄に相手方一男を除き次男正男、参男市男に各家を所有せしめて別に夫々世帯を構えさし、自らは相手方一男一家と同居し、吉助死亡後は本籍地所在の住宅に二階は申立人、階下は相手方一男一家と分れて居住し世帯も異にして醤油類の小売行商をして自らの生計を営んで居た。数年前から親族の斡旋もあつて主食類に充当するものとして毎月相手方から金一、〇〇〇円宛の支給を受けていたけれども同一世帯として居住する程必ずしも申立人と相手方の一家との間柄はすべて円満でなく性格的に融和しなかつたところがあつた。ところが相手方が昭和三八年二月頃相手方が工場へ通勤する都合上その本籍地の家屋を処分して現住所に移転したので申立人も一旦は相手方と共に移転しようとしたが他の子等が本籍地附近に居住しているので相手方と同行を拒否して居住家屋の新所有者に家賃として一ヵ月金五〇〇円を支払うこととして従前の住居の一部(二階)に留つていた。暫くしてその長女久子の婚家阪東治男方で病に倒れその後同家で臥床療養中である。申立人は発病後は無収入であり、又何等財産をも有して居ないので右久子は従来プラスチック工場に就業していたが申立人を看護するために右工場勤めを廃めて、したがつて爾来主として長女久子の夫阪東治男の扶養に依つて病気を療養しつつ生命を保持している状況である。そして右久子には子女三名あるので久子差支えの場合にはその子女等が申立人を看護するので申立人看護のため他人を雇うことは要しないが申立人の生活療養に要する費用は一ヵ月主食副食費等三、〇〇〇円菓子嗜好品等三、〇〇〇円洗濯代光熱水道代等一、〇〇〇円薬代一、五〇〇円合計約八、五〇〇円が最小限度常例的のものとして計上さるべき所要額であつて事実上阪東方で負担の已むなきに至つて居り尚蒲団、衣類、下着等が随時必要であつて之に要した費用は次男正男参男市男から発病当時の医療費と共に負担支出されたのであるが現時から漸次冬季に至るを以て更に蒲団下着類等を必要とするに至ることは明らかである。尚右阪東治男の月収額は約四万余円である。

相手方の事情-相手方が申立人とその亡夫吉助との長男であり、現在妻道子(当四七年)との間に長女(既に他家に嫁す)長男高男(当一七年)次女美子(当一六年)参女文子(当一三年)の子があつて現在同居の長男は昼間は○○石鹸和歌山工場に次女は○○メリヤス工場に夫々就業し、なお妻道子も○○染工工場に通勤していて三女のみは中学校在学中である。相手方は第二次大戦復員後漁業に従事していて父吉助が昭和二九年一月一日死亡後その本籍所在地の○○○漁業組員となつたが、その後漁業は漸く不振に陥り出費が重なつたので二年前右組合から脱退し漁業を廃業し工員となつた。しかし中年後の転向のため好い収入でなく客年七月頃から○○皮革工業工場に臨時工員として雇われたがその収入は平均毎月二万五千円であり、そのため妻も亦同じ頃から○○紡績工場に勤め毎月平均一万円の収入を得、長男は○○石鹸工場に勤め毎月平均約一万四千円を次女は○○メリヤス工場に勤め毎月平均約一万三千円を得ているが、長男高男は一方○○○工業高校化学科(定時制)に進みその学費が毎月平均約二、〇〇〇円である。右長男次女共毎月五、〇〇〇円宛をその母に差出しているので相手方の生計費に充当し得る金員は毎月約四万円と言うべきである。そして相手方はすでに漁業を廃めたためその本籍地に居住する必要はなく自らの工場通勤子女の通学の便宜上であるとして昭和三八年二月中その本籍地所在で亡父の死亡直前自らの名義に書換えた家屋を五五万円で他に売却し肩書住所地に右売得金で家屋を購入しその住居としたのである。その際旧住居に在つた仏壇を新居に移した際修繕等の費用として約五万円を支払つた。尚右家屋の買取人は相手方の異母姉の山田定子であるが右山田は買取直後該家屋が必要でなくなつたので之を更に田口松男に金七〇万円で売即したが、その頃申立人の実子で相手方の末弟小西市男が右家屋が欲しいとして相手方に買戻し方を強く迫つたため相手方は右田口に対して家屋の所有名義の変更を肯んじなかつたので前記山田は困却し親族村中時男の斡旋によつて二回に亘る売却代金の差額の二分の一即ち七万五千円を相手方に交付して名義書換を完了したが、七万五千円は前記村中時男の意図では市男等の気持を和ぐため母である申立人に交付することに在つたので相手方は一応申立人に出したが右市男等との言葉の行違から憤慨し五千円のみしか申立人に交付しなかつたので相手方及び市男等の兄弟間の感情は相当融和を欠くに至つたのである。而して相手方は申立人発病以来僅かに長男高男に見舞の果実類を持参せしめたのみで自ら阪東方に赴いて申立人を見舞つたことはなく、申立人の扶養に付ての親族による斡旋に対しても単に申立人を自己宅に引取る旨主張し、扶養料としては金員は出さないがもし申立人を相手方宅に引取ることを他の者が承諾した場合引取迄に申立人に要した金員を返還すべき旨を表示したのみで申立人の扶養料としての金員の支給は堅く拒否した。

その他の事情-申立人には前示のように長男である相手方前記長女久子の外、次男小西正男、参男小西市男がある。右正男は亡父吉助から住家を一応所有さして貰つたがその後事実上の失敗に因つて家屋を売却し現時市営住宅に居住しているが、四帖半三帖の二間で家族が妻の外死亡した先妻との間に生れた一六歳一五歳の女子二人と九歳三歳の男子二名合計五名で申立人を迎えるには余り狭い。現時○○化学工業工場に就労し毎月二万六千円乃至三万円の収入あり生計を維持しているが右の女子二名が夫々工員等として就労しているため折々申立人に対し若干の金員例えば申立人が昭和三九年二月脳発作のため倒れた際医療費として金一万円を支給し得たが、もとより定期的に申立人に対し金員を扶養料として支給できる程余裕がある状況でない。また参男小西市男は昭和三九年初めに交通事故に遭い当時働いていた○○化学工業を退職し同年七月下旬から○○化学工場に臨時工員として働き毎月約二万二千円余の外事故による手当及び長女当一七歳が住込工員として就労し同人よりの若干の送金等で合計約三万円の収入がある。家族は妻、中学校三学年の長男、当歳の男児の三名でその住家は亡父吉助から与えられたものであるが、比較的広い家屋の一部分を僅かに壁のみ仕切つたもので話声は天井から筒抜けで住居として適当でなく常に他に家屋を物色中で、之亦到底申立人を迎えることはできない状況である。而して現時における和歌山市において標準的世帯(男年齢四一歳女三八歳子三人)の生計費は総理府統計局家計調査の資料として算定されたものに依ると一ヵ月四万〇、一六九円、一人当り九、八二一円であり、消費実支出は一人当り一ヵ月一万一、三五五円であるが、一方、和歌山市福祉事務所に依れば七〇歳以上の女一人に対する最高生活保護費月額は普通月額五、〇三一円と之に住宅扶助一、二二〇円老齢加算一、一〇〇円(冬期は更に一八五円加算)を加算したものである。

結び-以上の事情から申立人に対する本件扶養の如何を考えると、元来子がすでに成熟し自身が妻帯し未成熟の子女を持つている場合の老齢に在る親に対する扶養は親が未成熟の子に対する場合と必ずしも同一に観念さるべきでない。即ち自己の生活を可能なる限り縮減しその生じた余裕を以てその扶養に充てるのでなく、扶養となす以前と甚だしく相違しない生活水準を維持しつつしかし乍ら或る程度迄は扶養のための支出がその者にとり時に心理的に物的に苦痛を感ずる程度のものでなければならない。蓋し甚しい苦痛を感ずる場合は、その者延いてはその家族迄或は普通人としての生活を拒否さるることになりこの場合は寧ろ老齢の者に対する利益の供与よりもそのために生ずる害が大きくしたがつて社会の衡平に反することとなり、寧ろこの場合は社会保障によつて解決さるべきものと言はねばならない。又逆に真に生活上の余裕ある場合のみこのような扶養がなさるべきものとするならば我国の現在の段階では或は親一般に対する子の扶養義務感が経済的問題に因つて左右さるるに至り人間関係の内で夫婦と並んでその基盤である親子関係を大きく動揺さし我国の人間関係延いて社会秩序その構造迄の変革をきたすおそれが十分にあり、又我国の現存の親子関係に対する一般の意識とも相当の隔りがあることは明白であるからである。換言すれば老齢の親に対する成熟者(有職者)の扶養の程度は子は従来の生活を或る程度即ち従来の社会的生活、社会的地位を害しない範囲で生活を節してそれに因つて生じた余裕を老齢の親に対する扶養に充てるべきを妥当とするものである。そこで本件の場合に付て之を観ると、相手方一男個人の収入は毎月平均約二万五千円であり而もその現在の家族は妻、男子一名女子二名計四名でその母である申立人に対して扶養するに足る余裕は存しないようであるが、上記のようにその妻、男子女子各一名が就労し、妻はその家計担当者としてその収入を相手方と共同にし男子、女子各一名はその収入より一部を割いて毎月約五千円宛、家計に差入して結局合計約四万円に達していること、現在は申立人を含む親より贈られたもの(現在は事実上代換物)で兄弟中で最も恵まれた住居を有し一応毎月の家賃を要しないこと、更に申立人発病後親族間の扶養の斡旋に対し常に申立人を引取り扶養すべき旨意思を表示していること、現実に申立人を引取扶養した場合申立人の現状と実際その扶養に要すべき費用、心労手数、又相手方が終局的には拒否したが一旦は毎月二千円は提供すべき旨の意思表示が本件調停の経過中にあつた事実、申立人の病状の経過、和歌山市における老齢者に対する生活援護費及び標準生計費その他申立人、相手方並びにその弟妹等の従来の経緯等諸般事情を綜合すると相手方は申立人に対して前示小西正男、同市男及び阪東久子と同順位で自己の負担すべきものとしては本件調停が提起せられた日の月から即ち昭和三九年六月分から申立人がその病中に在る間毎月金三千円宛(従来の主食費千円を含めて)を期日的に余裕を存して翌五日迄にその扶養料として申立人に対して支給すべきものと言わねばならない。(そして本件調停提起の日から前示の支払期限の到来している分即ち本年六、七、八、九、一〇の各月分は直ちに支払はねばならない。)(相手方に付て毎月金三千円の支払は必然的に相手方本人のみならずその妻長男等の日常小遣等迄若干の影響のあるべきは明白であるが本件扶養料支払期限中相手方本人自身は小遣等の雑費を節約してその影響を最小限度になすべきは勿論であるし、又その妻長男等は相手方と家庭を現在構成している以上そして申立人とも近い親族関係に在るのだからその生存自体、生活習慣の重大な変動がない以上家族構成員として主たる生計責任者の義務履行の効果を忍容しなければならない。尤も相手方は申立人と別居後申立人の住居として旧住居の二階を充てることを認めその賃料として毎月五〇〇円を所有者田口松男に支払うことを約定したので結局主食費、調停の際の千円追加右賃料を合計すれば前示認定の扶養料三千円は五百円の増額に過ぎず多大な負担増でない。)(申立人が完全にその病気を療養し得るには相手方から毎月金三千円宛の外叙上の認定のように従来の申立人に要した経費、生計費、生活援護費より推して猶ほ相当の金員を必要とするが本件調停の経過よりみると申立人の子女である次男小西正男、参男同市男は相手方と同順位の扶養義務者として相手方負担の外夫々必要な金員を進んで或る程度支出すること並びに長女阪東久子は同様な意味で主として申立人看護の労力を提供することは推察できるので敢て本件に参加人として参加を命じなかつた。又申立人が将来その病状悪化し医療費に相当の金員を要する場合は、本件審判によると相手方並びに前記正男、市男、及び久子は何れも相当その生活を夫々節して母である申立人を扶養又は扶養することとなつているから、寧ろ社会福祉的方法を講じその保障に委ねるべきものと言うべきである。)叙上の様であるから申立人、相手方共に又は各別に事情の変更が生じた場合は更に扶養に付て再検討することとして主文の様に審判する次第である。

(家事審判官 菰淵鋭夫)

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